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曇った鏡

黒曜苑 更新履歴兼日記
2018
05,27

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2013
08,30
大変お久しぶりです。

タイトル通りですが、この度うつ病になりました。
原因は端的に言えば親子関係です。

というわけで今回は薬学人らしく原因の解析とか薬の紹介とかしつつ、文章化することで自分の心の整理もしていこうと思います。
こんなケースもあるんだなーと参考にしていただければ幸いです。
とはいえ、原因とかの話題になると重たい話もあるでしょうので、苦手な方はスルーしてくださいね。

【うつ病診断までの経緯】
2013年2月頃から熟眠障害やめまい、易疲労感をおぼえる。
内科・耳鼻科・神経内科などで精密検査を受けるも異常は見つからず、ちょうど初の学会をひかえており、ストレスがかかりやすい状況下であったため一時的なものと考えていた。

同年3月頃から母との些細な諍いをきっかけに、母の干渉の一切に嫌悪感と恐怖感をおぼえ、情緒不安定になりがちになる。

同年8月には気がゆるむと突然涙が流れるなど情緒不安定さが急激に加速し、心療内科を受診。めでたくうつ病の診断をうける。
診断を受けたことで何だか「もう頑張らなくて良い」と許された気がして、逆にほっとしました。

今思えばですが、2012年8月頃から朝起きたときに吐き気が酷く、内科にかかるも原因不明だったことがありました。
これも前兆症状だったのかもしれません。
また、論文を読もうとしても全く頭に入らなくて悩んでいたのですが、抗うつ剤を飲み始めてから理解できるようになりました。知らず知らずのうちに理解力の低下も来していたようです。うつって恐ろしい。

今年8月になって急激に悪化したのは時期的な問題(後述)と、スーザン・フォワードの『 毒になる親 』という本を読んで、原因について自己分析をするうちに苦悩が増したというのが要因ではないかと思います。

【治療】
①サインバルタ20 mg

サインバルタはセロトニン・ノルアドレナリン再取込阻害薬(SNRI)と呼ばれる抗うつ剤。
至極単純に言えばセロトニンは幸福感、ノルアドレナリンは闘争心を司る物質。
うつ病の人はこれらの物質が分泌されにくくなっているので、楽しみがなくなったり、生きる意欲が低下したりするわけです。
SNRIはこれらの物質が消費されるのを防ぐ薬と言ったところ。
因みに抗うつ剤は大体どれも薬効が出るのに2週間くらいかかると言われているんですが、私の場合はまさかの2日目で効果が出ました。多分初日に1日1回の所を間違えて朝、昼と飲んでしまったせいではないかと。
主な副作用はセロトニンによる眠気と吐き気を中心とした消化器症状。抗うつ剤の中でも特に強い方らしいです。
私も例に漏れず毎日のように酷い眠気に襲われました。それだけならまだ良かったんですが、服薬5日目から頭痛と微熱まで出てきたので中止となりました。

②レクサプロ10 mg+ガスモチン

レクサプロはセロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)と呼ばれる抗うつ剤。SNRIのセロトニンにしか作用しないバージョンと思ってください。
サインバルタで副作用が強く出すぎてしまったため、セロトニンのみにしか作用しない薬に切り替えたという次第です。
主な副作用はサインバルタと同様ですが、さほど酷くはなかったです。ガスモチンは吐き気対策に出されたんですが、正直要らなかったですね。
現在服薬5日目で効き始めたのか、情緒不安定と体のだるさが軽快してきたところです。

初日に間違って倍量飲んでしまったことを考えても、どうも私は効果が出るのがやたら早い気がします。
これらの薬はシトクロムP450という薬物代謝酵素によって代謝されるんですが、もしかすると私はその酵素の活性が人より低いのかもしれません。
もしくは、受診する前に信頼できる人に相談して、ある程度気持ちの整理がついていたことも関係しているのかもしれません。
それと、実家を離れて弟と二人暮らししているため、最大のストレス源である母と物理的に離れているのが大きいのではないかと思います。

そういえば、私は何型うつなんでしょうかねえ。訊いてなかったわ。
要因とかを考えると新型うつっぽいんですが、趣味も満足に出来なくなってきてますし。
かといってうつだからって周囲の人に特別扱いして欲しい訳でもなし、どちらかというと早く自立したいし。

【原因】
原因の重要度順に書いてみます。重たい話なので「つづく」に隠しておきます。

①直接的な原因:母の物理的な過干渉によるストレス。

母は昔から部屋に勝手に入る、衣類や調度品を勝手に整える、私物を捨てるなどの物理的干渉を行っています。
具体的には、服を勝手に買ってくるとか。好みの物もあるから良いんですが、そうでないのもある。
うらやましいという人もいるけれど、私ももう自分の好みが確立しているし、自分で選ぶ楽しみを奪われるのはありがた迷惑です。

因みに【うつ病診断までの経緯】にある「些細な諍い」というのも楽しみを奪われた系です。
大学院に進んでから週休1日になり、帰りも遅いので絵を描く時間もなかなかとれず、週末にちょっとこだわって料理するのが楽しみだったんですが、そのために用意していた食材を勝手に使われてしまったんですよね。それも初めてではなく、何度もやめてって言ってるのに。
学会等でストレスがたまっていたこともあり、積もり積もって「謝れ!」って言ったんですが、「そんなことぐらいで」とか言って謝ってくれなかったんですよね。
そのくせ、その後悪びれずに「何々作って」だのと言ってくるので馬鹿にしてるのか。
そういえばこの人は明らかに間違ったことしてもはぐらかしたりして責任逃れするよなーと思い至り、母の傲慢さに嫌悪感を感じました。
母は基本的に謝らない人ですが、私には謝る価値もないと思ってるのか、謝る必要がない相手だと思われているのかと悲しくなりました。

最近やらかしてくれたのが部屋の模様替え。家に帰ったら業者さん入れて部屋の一部を削って箪笥を押し込んでました。勿論元々衣類はその辺に放られてます。これは我慢できなくて思わず家を飛び出して外泊しました。

私物を捨てるのは今はほとんどないんですが、思春期頃はよく漫画とか漫画の道具とか捨てられました。

今の私の部屋には自分の意志があんまり反映されてないんです。
元々和室なので私は畳の風合いを楽しみたいんですが、絨毯が敷かれています。何とか死守したのは障子くらい。
そういえば棚に並べる本の種類にも難癖つけられましたっけ。画集並べたら嫌み言われました。
電気も、私は頭痛持ちで発作の時は光の刺激が辛いから弱いものにしたかったのに、母は部屋が暗いのは嫌だと言って無駄に明るいのを取り付けてしまいました。
実際に部屋を使うのは私なんですけどね。

自室は勿論、キッチンなども母の好みとこだわりの空間になってます。
因みに母がこっちの家に来るのは月に1,2度。

外泊したときに気づいたんですが、自分の部屋なのに、実験動物みたいに管理されているみたいでいまいち安心できません。ホテルとかのがよっぽど安心できるんですよね。

②根源的な原因:母の精神的な過干渉によるストレス。

ありがちな話ですが、幼い頃から「良い大学に入って、良い会社に入って、沢山稼いで楽をさせてちょうだいね」的なことを吹き込まれて育ちました。
これまたありがちな話ですが、母は自分が薬剤師で、自分は大学院へ行けなかったらから私を薬学部へ入れ、大学院まで出させようとしている節があります。節があるというか、口に出して言われないだけで明らかにそうなんですが。
そんなわけで幼い頃から自分は母の望むように生きなければならないと思ってました。
そういえば「大きくなったら何になりたいの?」「あなたはどう思ってるの?」みたいなことを父にも母にも訊かれた覚えがないです。いつも決定事項を言い渡されるか、誘導されるだけで。

小学生の頃、「将来の夢」という題で作文を書かされました。
私は絵を描くのが好きだったので、「手塚治虫みたいな漫画家になりたい」と書きたかったんですが、その作文は授業参観で発表しなければならなかったのです。
本心を書いて、後で母にしかられるのが怖くて、私は結局「医者になりたい」と書きました。
この時に本当のことを書けなかったことが今でも心残りです。

あきらめきれずに、高校卒業後は大学に行かずアニメーション学院的なところに行きたいと言ったこともあるんですが、これも頭ごなしに反対されました。
博打みたいな業種ですから、反対する気持ちもわかるんです。
本当に食っていけるかどうかわからないから、もっと世界を知るべきだから、その夢は大学を出ても進めるから、だから大学は出ておきなさい。そういってくれれば納得できました。
けど、「くだらない」からって、それはあんまりなんじゃないでしょうか。

その後は勉強する気にもなれなくて、授業中だろうが何だろうが絵を描いて高校時代を過ごしました。当然、大学も落ちて浪人。
浪人中に分子生物学関係の本を読んで薬学部に興味を持ち、再び勉強を始めました。
母の要求と折り合いをつけたつもりになってたんでしょうが、実際の所、この頃にはもう母の望みを自分の望みと錯覚してたのかもしれません。
今大学院2年目ですが、今になって漸く、本当に自分の意志でここにいるのかどうか疑問に思い始めました。研究自体は決して嫌いではないんですが、研究者としての「その後」のプランが全くないことに今更のように気づいたからです。

他にも特に小学生の頃、母友人関係にも口を出してきました。
私はあまり友達を作るのが得意ではないのですが、その数少ない友達のことを「頭の悪そうな子たち」とけなされたのは辛かったです。

①②と共通していえることなんですが、どうも母は私のことを所有物か母自身の延長線程度としか考えておらず、私が母とは別の人格を持ったひとりの人間だという認識に欠けているのだと思います。
だからプライベートゾーンに浸食することや、私の意志を封殺し、操ることに抵抗も疑問も覚えないのではないかと思います。

③幼少期の虐待行為のフラッシュバック。

学歴厨の母なので、教育ママでした。幼少期はスパルタ教育でした。
1~3コくらい上の学年の問題集をやらされてました。体罰付きで。
うまくできないと「どうしてそんなことも出来ないの!」と怒鳴られ、引っぱたかれ、そのくせ私が泣いたら「何でいちいち泣くの!」「ヒステリー起こすんじゃない!」と恫喝(ヒステリーはどっちだよ…)。
時には噛みつかれたり、棚に頭をぶつけられて流血したこともあります。
当時はいつか殺されるんじゃないかと思ってました。
叩かれすぎて頭がふらふらしてもまだお勉強の時間は続き、父が仕事から帰って来ます。
「ああ、お父さんが止めてくれる。これでやっと解放される」と思ってこっそり安堵します。
しかし父はヒステリックにしかる母に向かって「うるさい」と一言いうだけで止めてくれませんでした。

以上の光景を、私は嫌なことがある度に思い出します。時々夢にも見ます。

幼い娘が折檻されてるのを見て「うるさい」って何ですかね。
普通「やりすぎだろう」「もうその辺でいいだろう」とかじゃないんですかね。
何度考えても父は母のヒステリーの前に、私を人身御供にしたのだとしか思えません。

この件について母には結構昔に「別に教育ママってほどじゃなかったでしょ。スパルタだなんて大げさな」と言われました。
いじめでも何でもそうですけど、加害者側の意識ってそんなもんですよね。
ついでに言うと泣いたり怒ったりしそうになると「泣くな」「ヒスるな」と言われたためか、私は今でも感情表現が苦手です。

④将来にわたる人格形成への影響を考えて悲観的になった。

上記のような扱いをうけてきたためか、私は自分に自信がないし、他人を信用することが出来ません。
自分で自分のことを決めたことがないし、親に裏切られて誰を信じられるって言うんでしょう。
友達を作るのが下手なのも、この年になっても異性関係が全くないのも、このせいじゃないかと今となっては思います。
私は人間不信、特に男性恐怖症なところがあったのですが、これは中学の頃に男の子にいじめられたからだと思ってましたが、根っこの原因は父の裏切りかもしれません。
幸いにして大学で良い友人に恵まれて、人間不信は多少は改善され、男性恐怖症も不振くらいになりました。親の良いなりになって唯一良かったのは大学で長くつきあえそうな友達に会えたことでしょう。

ただ、それでも結婚して子供を作って幸せな家庭を築くという未来は、私にはないように思えます。
そもそも男女関係に夢や希望を持てない。依存しあうことに嫌悪感がある。
仮に結婚できて子供が出来たとして、例えば夫となった人がいわゆる「良いパパ」だったら私は子供に嫉妬して虐待すると思います。そうでなくとも母のように子供を良いように支配したり、過剰な体罰を与えるのではないかと怖くて他人行儀に接して寂しい思いをさせるのだと思います。

前半の性格については百歩譲って自分自身の性だとしても、後半はどう考えても両親のせいとしか思えません。
この考えに至ったとき、育ってくれた感謝よりも憎しみの方が勝ってしまいました。
余生を苦しんで生きて、惨めに死んで欲しいと心から願っています。

⑤もともと診断を受けた日は情緒不安定になりがちな時期だった。

もともと私は誕生日付近になると情緒不安定気味になります。

私が生まれた日は1985年8月16日。
お盆で、終戦記念日の翌日で、御巣鷹山の飛行機墜落事故の5日後。私が生まれた病院には当時、事故の生き残りが入院していたそうです。
死の臭いただよう時期ですから、TVも新聞も辛気くさいニュースばかり。聴いているだけで気が滅入ります。
親か親戚の誰かかに、冗談半分で「お前は死んだ人たちの代わりに生まれてきたのかもね」なんてことを言われたことを覚えています。多分そのせいで、自分が生まれてはいけなかった人間だとどこかで思ってるのかもしれません。

【解決方法】

少なくとも私の中では、両親との間に修復できない溝が出来ています。
不信と怒りと憎しみと恐怖と嫌悪と、悪感情のフルコース状態でまともな精神状態でいられる自信はありません。
おそらくどんなに謝ってもらおうとも、私は許すことは出来ないでしょうから。
よって距離を置こうと思っています。
幸い物理的な距離は最初からあることだし、家庭に無関心な父から接触してくることもありません。
母が訪ねてくるときは外泊するなどしようと考えています。

大学院卒業後は、今度こそ自由に生きたいです。
どこに就職しようと、それこそのたれ死のうとも今度こそ何も言わせたくありません。
そのためにも今は精神状態を立て直すことに集中しようと思います。
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プロフィール
HN:
年齢:
32
HP:
性別:
女性
誕生日:
1985/08/16
職業:
大学院生
趣味:
絵描き、漫画・ゲーム
自己紹介:
今春から大学院生&ペーパー薬剤師。
水滸伝との出会いの書は陳瞬臣・手塚修監修の漫画『中国の歴史』。初恋の人は林冲ですが何か。
山田章博と田中芳樹とKOKIAが大好きです。
『幻想水滸伝』も大好きだけど水滸ネタが尽きてきたならいい加減名前だけ使うのやめて欲しいぞ。(´・ω・`)
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