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曇った鏡

黒曜苑 更新履歴兼日記
2018
10,18

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2013
08,30
今思えば的なことをつらつらと。

今の私の望みって、端的に言えば「自由」なんですよね。
母の支配からの自由。自分のことを自分で決められる自由。
もうなんか、それさえあればいつ死んでも悔いはないかもしれないってくらい。

①今思えば、絵を描くことや空想にふけることにのめり込んだのは自由を求めての行動かもしれない。

小さい頃から家では母の支配下にあって、家の外ではいじめられていて、
そんな私でも自由になれるところが絵の中の世界と空想の世界だったのではないかと思います。
単純に人に褒められる部分がそのあたりしかなかったからというのもあったんでしょうが。
だからでしょうか、夏休みの宿題とかで読書感想画を描いてて、母に口出しされたとき物凄く不快だった記憶があります。

②水滸伝に傾倒したのも自由に憧れて?

水滸伝って、平たく言うと自由を奪われた、奪われそうになった人たちが支配から脱却して面白おかしく生きるお話じゃないですか。
水滸伝の結末の無常さに自分の現状を重ねていたのもあるかもしれません。
でもそれ以上に、私にとって水滸伝ってまぶしいものなんですよね。何故まぶしいかと言えば、それは彼らが自由だからだと思うのです。

因みにこの頃『進撃の巨人』が好きすぎて時折夢に出てくるくらい傾倒してるんですが、これも自由というキーワード故かもしれません。
「自由でなければ生きている意味がない」というのは主人公エレンの言葉ですが、私もそう思います。

③水滸伝以外に考えてる物語について

絵や小説としてまがりなりにも形にしてるのは今のところ水滸伝だけなんですが、脳内でずーっと暖め続けている物語があります。
西洋ファンタジーなんですけど、平たく言うと「父と息子で殺しあう話」で「自分を乗っ取ろうとする存在から解放されるために死ぬ話」で「肉親も友人も何もかもを捨てて初めて自分の人生を歩めるようになる話」です。
さりげなく自分の状況とか願望とかが入っていたのかなあと。

最近よく、親も友達も恩師も何もかもとも縁を切って独りで生きていきたいなあとか考えることがあるんです。


さて、ここから少し、両親についての分析。

【母について】

母の実家は自営業で、妹弟が沢山いて、私と同じく長子だったそうな。
ずいぶん前に聞いた話なのでうろ覚えだが、忙しい両親に変わり妹弟の面倒を見、遊びにも行かず家の手伝いをする毎日だったらしい。
ここから推察するに、妹弟のために自分の楽しみなどを犠牲にしていたのだろう。
祖母は母に苦労を強いる一方、妹や弟ををひいきしていたような話も聞いたこともある。
さんざん面倒を見てきた妹たちには大人になってから軽んじられていたようだし、祖父母が亡くなるときも面倒ごとは全て母に押しつける一方、遺産は掠め取ろうという動きがあった事は私も知るところだ。
母の犠牲にした物や苦労に対するふるまいとしてはあんまりである。

母はどういういきさつか、若い頃にアメリカ横断旅行をしており、父とはそこで出会っている。
当時としてはかなり大胆な行動だと思うが、これは自分を縛るしがらみから脱却しようという一つのあがきだったのかもしれない。
結婚後は父について地元を離れたのも似たような理由があるのだろう。
異様にプライドが高いのも、絶対に謝らない傲慢さも、バリバリ働いて男顔負けの収入を得ていたのも、自分を支配しようとする者に対する防衛行為だったのかもしれない。

おそらく母の私に対する過干渉は、こうした自分の苦労に満ちた人生を私を何不自由なく育てることで昇華させたかったのだと思う。
その心理も、私に対する悪意があるわけではないことも重々理解している。
けれど、私は母が歩みたかった人生をロールプレイするための人形ではない。私は私の人生を歩む権利がある。
家族のために犠牲になるばかりだった母の人生と、母が敷いたレールの上しか許されない私の人生、何も違わないのではないだろうか。
結局の所、母は私に自分が経験した不遇感を、別の形で私に負わせただけなのではと思えてならない。

母のことは、薬剤師として、働く女性としては尊敬しているが、私の人生をコントロールしようとしたことは許容できるものではない。
方向性は間違ってはいるが、愛情も感じているだけに、簡単に切り捨てることも出来なくて、それがとても苦しい。複雑だ。
愛憎という表現がここまで似合う相手はきっと母以外にはいないと思う。


【父について】

父についてはそもそも家庭内での会話がないのでよくは知らない。
父の子供時代について私が知っていることと言えば、鳩を飼っていたことくらいだ。
けれど、祖父母や伯母とのやりとりを見ていて思う点はある。

親戚が集まったとき、祖母は基本的に伯母とばかり話す。
祖父は比較的父とも話していたが、それでも伯母に話題を振っていたことが圧倒的に多い気がする。
伯母はおしゃべりで闊達な方だから、というのもあるのかもしれないが、おそらく元々父との間に暖かな家族のコミュニケーションは少なかったのではないだろうか。
そう考えると、父の家庭への無関心さに説明がつく。
父は時折、子供から見ても信じられないような非常識な、あるいは無神経なことを言うことがあるが、その辺も幼少期からのコミュニケーション不足に起因しているのではないかと思う。

父は世間体を気にするというか、形式ばかり重んじる傾向がある。世間の常識という者にとらわれて、本質を見ないで見当違いのことを言うことがある。
先述の信じられない非常識なことともかぶるが、父は車や家など大きな買い物をするとき、ローンを組むべきだと主張したことがあるらしい。現金が用意できるにもかかわらず。
普通に考えて、現金で即金で払った方が何かにつけお得だ。ローンを組むというのは借金をしていることと変わりないのだから。先方だって踏み倒されるリスクがあるローンを組まされるより、多少少なくても確実に現金が入った方が喜ぶ。
なのに父がローンを組みたがった理由は「一般家庭ではローンを組むから」。
単純に常識がないから、というのもあるだろうが、父がこうした無意味な形式にとらわれるのは、自分に中身がないが故のの虚勢なのではないかと思う。
父は仕事人間で、ごく最近まで趣味らしい趣味もなかった。毎年ウンザリするほどの量の年賀状のやりとりをしていたが、母曰く殆どは仕事関係の上辺だけのつきあいの人たち相手だったという。

中身のない張りぼての不安定な人格しか持たず、仕事しかよりどころがなく、家に帰ればヒステリックにわめく、やたらとプライドの高い妻。
しかもこの妻は専業主婦とは異なり、男顔負けに稼ぎ、たとえ離婚してもやっていけそうな強い女。家庭内でも有利な立場に立つことは困難である。
更に、家庭への無関心が招いたこととはいえ、それ故に娘も息子も親愛の情を示さず、他人行儀な関係。自分ひとりだけ家族の輪から外され、孤独感も味わってきただろう。
想像すると父の置かれた状況もなかなか悲劇的である。同情は禁じ得ない。

無論、だからといって最も無力だった私を見捨てたことを許すわけではない。
結果はどうあれ、母と結婚したのも、子をなしたのも父なのだから、親としての責任は果たすべきだろう。
私が父に親愛の情がもてないのはそもそも父が私に愛情らしきものを与えようとしなかったからである。
正直に言って、同居している親戚とか、スポンサーとかいう表現がおそらく最も近い関係なのだと思う。少なくとも私にとっては「さほど親しくない友人」よりも遠い人だ。
限りなく他人に近いが故に接しやすい部分はあるが、今更に家族ごっこのようなまねをされると非常に居心地が悪い。
我ながら何とも歪な関係だと思う。
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プロフィール
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女性
誕生日:
1985/08/16
職業:
大学院生
趣味:
絵描き、漫画・ゲーム
自己紹介:
今春から大学院生&ペーパー薬剤師。
水滸伝との出会いの書は陳瞬臣・手塚修監修の漫画『中国の歴史』。初恋の人は林冲ですが何か。
山田章博と田中芳樹とKOKIAが大好きです。
『幻想水滸伝』も大好きだけど水滸ネタが尽きてきたならいい加減名前だけ使うのやめて欲しいぞ。(´・ω・`)
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